東京の山手ってどんなところ??

街決め 失敗しない住む街選び

今回は街についての考察をしてみたいと思います。

自分は以前不動産営業をしており、街と言う街を歩回り、それぞれの街と言うものにそれなりのイメージを持っています。実際に住んでいる方々からしたら❔❔という感想もおありでしょうが以下にまとめてみました。

皆さんは賃貸物件を探す時にどんなことに気をつけて探しますか?

建物重視地域重視❔など様々あるかと思います、はたまた駅から近ければ何でも良い、或いは職場から近ければ何でもいい、などなどありますよね。

今回は地域によって賃貸物件を選ぶ場合のことを考えてみたいと思います。

物件を探している人の中にはどうせなら山手やおしゃれな街に住みたいと思っている人も居るのではないでしょうか。

東京圏生まれの東京圏育ち。

このような感じで育った人が一人暮らしを検討する場合は割とこの様な住宅地を選ぶ傾向があります。

対照的に全国津々浦々から出てきて地域事情が良く分からず、学校に近かったから職場に近かったからなどの理由で住む街を決めてしまう場合も多々あります。

街の雰囲気やら防犯的な観点から見て「えっ,その地域に女性のあなたが一人で住んじゃうのはちょっとどうなのよ⁉」という事例もままあります。

まあそのようなところはおいおい説明させていただくとして今回は山手について書いてみたいと思います。

【都内の高級住宅街はどんなところにある?】

非常に大雑把な表現だと【東京都南西部】とか【中央線の南側、地図で言うと中央線の下(北側)+目白+文京区の一部】などと言われていますがこれも曖昧ですね。

車の品川ナンバーや世田谷ナンバーが与えられる地域・・・というご意見もあるかもですが、目白や文京区の一部などはどうなる❔とか品川ナンバーでも下町の地域はあるんでないの❔という議論も始まってしまいそうなのでとりあえずペンディングです。

東京と言う都市は世界の首都の中でも地形的に起伏が激しいそうで、山手エリアと下町エリアが隣り合ったりしているという面白い街並みです。

以下歴史的背景なども交えて山手と言うのはどんなところを指すのか見てみたいと思います。

{その1高台にある}  

高級住宅街はむかし武家屋敷や華族などのお屋敷が並んでいた街に多いです。 このような街には 【攻められにくい=侵入されにくい】 という要件が必要となり自然と高台に屋敷がつくられるようになりました。なので 山手=高級住宅街 の図式が出来上がりますよね。 

時代は流れ1879年、パリから遅れること84年、ついに東京にも区制が敷かれます。開始当初は15区。

この時代の山手についてご年配の方々に聞いてみるとなぜか麹町というお答えが多かったような気がします。それはともかくこの時代の山手は小石川、丸の内、青山、赤坂、麻布、白金などの江戸城付近の小エリアだったのです。

さらに時代は流れ1923年。関東大震災のあと、当時墨田区とか浅草あたりに住んでいたお金持ち族❔が「下町は地盤がユルユルでちょっち危険だな~」とばかりにこぞって東京の西のほう、西の台地に移動を始めた というのも高級住宅街が東京の南西部に集中して構築されてきた要因のひとつですね。(その際、練馬など東京北西部の方面も大いに検討されたそうですが、農家の方から土地を取得するのは難儀だったそうです)

それでニューリッチ層は仕方なく「坂ばかりあってへんてこりんなとこだな~」と思いつつ麻布や六本木などに居を構えました。

こんな感じで東京の山手は拡大していきます。このままどんどん拡大して23区全体が山手になったらおもしろかったのでしょうがそうもいかなかったようですね。

あとこれは知り合いの もと警察官から聞いた話ですが、お金持ちが高台を好むのは「高台は怪しい人が来にくい」というのもあるからなんだそうです。

自分の考えとしては 山の上⇒出掛けるには良いが帰りが上り坂できつい⇒自然と送迎車がつくお宅かタクシーで帰宅する財力のある者=お金持ち だけが山の上に残りそこに住みつく・・・のイメージです。ダーウィンの進化論みたいですが・・・

{その2 私鉄沿線にある}
基本、線路には【】を運ぶために作られた線路と【】を運ぶために敷かれた線路とがあります。

このうちやはり人を運ぶために作られた鉄道の沿線には閑静な住宅街が散見されます。

まずを運ぶ線路の例は関東で言うと例えば横浜線とか南武線

横浜線は八王子と東神奈川を結んでいて、八王子や甲信地方から横浜に生糸を運ぶことを主な目的として敷かれた線路です。横浜まで運ばれた生糸はここで売られたり、横浜港から海外に輸出されていきました。終点駅の先ですがシルクセンターなんてありますよね。

そして南武線。これは立川と川崎を結ぶ線路ですが、当初は多摩川の河川敷で採取した砂利を運ぶ目的で計画されました。

その後資金集めに難航していた中、とある財閥企業グループが名乗りをあげました。セメントの原料となる石灰石を青梅方面から川崎まで運ぶことを望んでいた財閥です。

そんなわけで砂利と石灰石・・・この2つの運搬を主な目的として南武線は敷かれました。

次にを運ぶ為に敷かれた路線の代表例は山手線中央線東急線、小田急線、京王線などの各線です。

中でも東急線、小田急線、京王線などは沿線に住む人々を渋谷や新宿のデパートに運んで来るために敷かれた路線ですね。

このような路線は沿線住民がデパートで買い物してくれるのを期待してつくられたので、それなりの雰囲気の住宅街が見られます。

また建設した会社が沿線に高級住宅街を作ろうとした意図もあり、沿線の駅には高級住宅街が形成されているところも多いです。

やはり沿線に高級住宅街を作る⇒そこにお金持ちが住みつく⇒デパートがお金持ちホイホイになりウハウハ¥$ という図式が当初から思い描かれていたのかもしれませんね。

高級住宅街の例としては東急線の田園調布、自由が丘、代官山、日吉、碑文谷、白楽など。小田急線においては成城、赤堤など。京王沿線にも閑静な住宅街が広がります。吉祥寺がある中央線も忘れてはなりませんが。(他にも屈指の高級住宅街としては松濤、白金台、池田山、青山、広尾、麻布、大山町、神山町などなどたくさんありますが、路線との説明がつきにくいのでまた今度で・汗)

デパートやら鉄道を運営する会社にしても、生活に余裕あるお金持ちが住んでくれたほうがありがたいですからね。恐らく当時のここらあたりの不動産のセールスコピーには「ワンランク上の品格をあなたに」とか「時代に選ばれた、悠久の邸宅地」とかなんとかの売り出し文句がおどっていたのではないでしょうか??

(余談ですが、田園調布と同時期に分譲された日吉も田園調布と同じく高級住宅街ですが、開発した不動産会社は田園調布のように駅前の道を放射状に作りおなじような街が作られるのを想像していたようですが、最初に日吉に住んだ方々はお店を始める方が多く、日吉を開発した会社が当初イメージしたものとは若干異なる街になってしまったんだ・・・とむかし地元の方から聞いたことがあります。区画についてはグーグルマップなどで見てみてください。)

高級とまでいかなくても街路樹が並んだような(高級住宅街ってなぜか街路樹が多いですよね)閑静な住宅街に住むというものは、なにかメンタル的な安心感や穏やかな時の流れというものもあり・・・良いものですよね。自分も一度は住んでみたいものです。

しかしまあ、こんな地域にはそれなりのお高い飲食店しかありませんので「急に牛丼をかっこみたくなった、とか突然二郎系ラーメンのスープに漬かりたくなった」などという場合、かなりカオスな状況になるのですがね。

「ちょっとそこまで行くだけだからジャージや寝巻きでいっか~」なんてのもなかなかやりにくいでしょうし。

と、最後は話が横道に逸れてしまいました。次回、下町について書いてみたいと思います。

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